〜蓬壷の殿堂〜

京都国立博物館旧蔵品
奥田頴川呉須赤絵水瓶
Kyoto National Museum's possession.
Water-pot;Red painted.
By Eisen Okuda.

京都国立博物館旧蔵品
奥田頴川呉須赤絵水瓶

京都国立博物館旧蔵品 奥田頴川呉須赤絵水瓶

奥田頴川−おくだえいせん− 江戸時代が後期に入った文化・文政年間の頃、京焼に写し物の一大ブームが到来しました。呉須赤絵や交趾、古赤絵、呉須染付、祥瑞などの中国陶磁器における写し物を、陶工たちはこぞって焼成したのです。 そのパイオニア的存在、先導者がこの奥田頴川であり、それに続いたのが青木木米や仁阿弥道八、永楽保全です。特に頴川は、奥田頴川といえば呉須赤絵、呉須赤絵といえば奥田頴川といわれるほど、突出した表現力と強い印象を持つ呉須赤絵写しを確立しました。 代表作には、東京国立博物館が所蔵する『呉須赤絵花鳥魚文隅切膳』などがあります。(1753-1811)



●中央公論社刊 日本陶磁全集 第29巻『頴川・木米』所載の名品でございます。
現存作品の比較的少ない奥田頴川の作品の中でもこの水瓶は、赤絵の状態や表面の擦れなどの点で、特に保存状態のよいものとして、これまで京都国立博物館にて保管されてまいりました。
この作品は、ご覧のように呉須赤絵印判文を京焼に写したものでございますが、赤絵の筆致などには名工らしく、奥田頴川らしさも十分に加味されており、さすがであるという実感をぬぐえません。
念のため申し述べておきますが、キズのように見える部分は虫食いといって、古染付や呉須赤絵の意匠として故意につけられております一種の装飾効果のようなものであり、作品は完品でございます。
各部位における実際の寸法は後にご紹介致しますが、高さ15cm足らずというサイズには、この画像からはとても見えません。それほどに貫禄があり、存在感があり、安定した作品であるといえるでしょう。
用途がお煎茶道の水瓶(水注)ですので、蓋裏と内部にも釉薬が施釉されております。
比較的珍しいことなのですが、底部中央部には、赤絵の具にて『頴川』の在銘でございます。
また、呉須赤絵写しであることから、底部は砂高台となっております。
最下段にご紹介いたしました画像は、外箱蓋裏にある真葛香山による極書の様子でございます。
なお、弊店において計測致しましたおおよその各部位寸法などは次の通りです。
高さ:14.5cm
口径:5.5cm
底径:6.7cm
箱:真葛香山極書・時代箱入
時代:文化年間頃
焼成地:京都
状態:完品
展覧会履歴:頴川展ほか多数

京都国立博物館旧蔵品
奥田頴川呉須赤絵水瓶

京都国立博物館旧蔵品
青木木米黄交趾釉荒磯文茶銚
Kyoto National Museum's possession.
Tea-pot;Yellow Kouchi ware.
By Mokubei Aoki.

京都国立博物館旧蔵品
青木木米黄交趾釉荒磯文茶銚

京都国立博物館旧蔵品 青木木米黄交趾釉荒磯文茶銚

青木木米−あおきもくべい− 江戸時代が後期に入った文化・文政年間の頃、京焼に写し物の一大ブームが到来しました。呉須赤絵や交趾、古赤絵、呉須染付、祥瑞などの中国陶磁器における写し物を、陶工たちはこぞって焼成したのです。 中でも群を抜いていたのが奥田頴川と、彼を師とした青木木米、仁阿弥道八、永楽保全の作品には注目すべきものがあります。 青木木米は、江戸前期の野々村仁清、江戸中期の尾形乾山と肩を並べる江戸後期の名工といわれています。 文陶一味という言葉の通り、本業のやきものをつくり、文学を玩び、詩歌を詠じ、絵画を描き、煎茶を好み、古書に精通し、古銭に明るいという、およその文人気質はすべて兼ね備えた、有能な陶工でした。 それ故に、すべての才能と知識が作品に投影され、現在でも高い評価を受けているのです。(1767-1833)



●京都国立博物館に蔵品されておりました青木木米作、黄交趾釉荒磯文茶銚をご紹介いたします。
この商品は、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館監修による雑誌『日本の美術4〜頴川、木米、道八』、中央公論社刊『日本陶磁全集29〜頴川・木米』その他数誌に所載されている名品でございます。
最上段の画像は、京都国立博物館でのスチール撮影を複写したものでございますが、それ以降の画像は、より実物に近い風合いをお届けする為に、新たに撮影をし直してのご紹介となります。
この作品は型押しにて造形されており、胴の部分が上下二つのパーツからなり、取っ手と注ぎ口も独立したパーツから組み合わされて出来ています。
青木木米の作品を図録で見る機会があると、ほとんどの場合、この作品が登場しています。この荒磯を題材にした急須は他にも見られ、同型のものが東京国立博物館に館蔵品として保管されています。
実際に手に取ってみますと、驚くほどの軽さで、興味本位で軽量してみましたら101gでございました。さすがとしか言い様がありません。
さらに、身の部分を光にかざしますと、陶器でありながら光が透けて見えます。
型押しながらこれほどの軽量と薄作りが出来るのは、歴史上の陶工多しといえども、それほど居るものではありません。名工と詠われる所以でしょうか。
落款は蓋の裏側中央部にあり、小判印で『木米』の文字がはっきりと押印されております。
残念ながら、蓋には割れを修復したあとが見られ、珠にキズともいうべき唯一の欠点となっています。
なお、弊店において計測致しましたおおよその各部位寸法などは次の通りです。
高さ:10.3cm
口径:5.7cm
底径:6.2cm
箱;時代箱入
時代;文化・文政年間頃
焼成地;京都
状態;蓋に直し

京都国立博物館旧蔵品
青木木米黄交趾釉荒磯文茶銚

京都国立博物館旧蔵品
青木木米紫交趾釉八角水注
Kyoto National Museum's possession.
Water-pot;Violet Kouchi ware.
By Mokubei Aoki.

京都国立博物館旧蔵品
青木木米紫交趾釉八角水注

京都国立博物館旧蔵品 青木木米紫交趾釉八角水注

青木木米−あおきもくべい− 江戸時代が後期に入った文化・文政年間の頃、京焼に写し物の一大ブームが到来しました。呉須赤絵や交趾、古赤絵、呉須染付、祥瑞などの中国陶磁器における写し物を、陶工たちはこぞって焼成したのです。 中でも群を抜いていたのが奥田頴川と、彼を師とした青木木米、仁阿弥道八、永楽保全の作品には注目すべきものがあります。 青木木米は、江戸前期の野々村仁清、江戸中期の尾形乾山と肩を並べる江戸後期の名工といわれています。 文陶一味という言葉の通り、本業のやきものをつくり、文学を玩び、詩歌を詠じ、絵画を描き、煎茶を好み、古書に精通し、古銭に明るいという、およその文人気質はすべて兼ね備えた、有能な陶工でした。 それ故に、すべての才能と知識が作品に投影され、現在でも高い評価を受けているのです。(1767-1833)


●数十年の間保管され続けていた京都国立博物館から、平成12年4月にようやく出てきた作品をご紹介いたします。
こういった価値ある作品を、今後の保存などの点から考慮すると、博物館から流してしまうことは、非常に危険で罪深いことなのかもしれません。
しかし、古美術品が伝世するという本当の意味は、ガラス越しに安置したまま次の世へ伝えるということではなく、人の手から人の手へ、受け継がれて始めてその本当の価値が見出されるものであると認識しています。
お買い上げ下さるお客様を信じて、これからも大切にご愛玩下さるお客様のもとへとお譲り致しました。
この作品は、交趾釉を使用した作品では定評のある青木木米による作品ですが、特に木米の絶賛すべき点は、発色し辛い紫色という釉薬の品質を極限まで高め、それを完成させている点にあります。
各部位における実際の寸法は後にご紹介致しますが、高さ11cm足らずというサイズには、この画像からはとても見えません。それほどに貫禄があり、存在感があり、安定した作品であるといえるでしょう。
青木木米のライバルとして比較対照される存在が永楽保全ですが、師である奥田頴川の魅力を最も受け継ぎ、自分流に展開した点では、木米の方が明らかに上手のようです。
用途がお煎茶道の水注ですので、蓋裏と内部にも釉薬が施釉されておりますが、特に蓋裏の釉薬には黄交趾釉が使用されており、色彩感覚の斬新さと確かさがうかがえます。
底部には、小判印で『木米』の文字が押印されています。
また、拝見した印象は大変に美しく、可愛らしく、紫一色の表面でありながら景色があり、見飽きることのない素晴らしいものです。
なお、弊店において計測致しましたおおよその各部位寸法などは次の通りです。
高さ:10.2cm
口径:3.5cm
底径:6.8cm
箱;時代箱入
時代;文化・文政年間頃
焼成地;京都
状態;完品

京都国立博物館旧蔵品
青木木米紫交趾釉八角水注

ペア・シェイプ
エメラルド・リング
Emerald ring.

ペア・シェイプ
エメラルド・リング

ペア・シェイプ エメラルド・リング

エメラルド−Emerald− エメラルドは緑柱石のうち、特に濃い緑色のものをいう。また、緑以外の水色のものはアクアマリンと呼ばれ、3月の誕生石として親しまれている。エメラルドは、5月の誕生石であり、無窮、清廉の象徴として、古代エジプトのクレオパトラが好み、粉末にして飲んでいたという伝説もある。インクルージョン(亀裂や内包物)のないエメラルドはほとんどなく、90%以上の確率で、何らかのひびをもつのがひとつの特徴といえる。


●エメラルドの超一級品を使用した指輪(上代価格1,000万円)を、この度ご紹介できることになりました。
このクラスのエメラルドは、ルース状の原石を仕入れる段階で700万円程度の価格となるのが通常です。
このリングには、色の良いエメラルドが1石と、その周りには小振りながらもブリリアント・カットが施された最高級品質のダイヤモンド15石をしっかりとした爪で留め、そしてバンドには3石ずつ計6石の角ダイヤをレール・セッティングによりセットしてございます。
このエメラルドはペアシェイプ・カットが施され、画像に写る緑よりもはるかに深味のある緑色を呈しています。
当然のことながら、つくりのすべてが手作りのキャストにて制作されたもので、加工は東京にて行われた商品でございます。
エメラルド  6.060カラット
ダイヤモンド 2.240カラット
プラチナ900使用
もちろん商品は新品、未使用でございます。

ペア・シェイプ
エメラルド・リング

聚楽第手
古七宝金鍍金引手
A catch of the Fusuma;Old cloisonne type.

聚楽第手
古七宝金鍍金引手

聚楽第手 古七宝金鍍金引手

聚楽第−じゅらくだい− 聚楽第は別に<じゅらくてい>とも読みます。聚楽第は、当時仲睦まじかった茶々(のちの淀殿)を招いて、天正15年に豊臣秀吉が京都に建てた、殊のほか豪華で煌びやかな城郭風邸宅でした。 その栄華は頂点を極め、翌天正16年には後陽成天皇の行幸を得るほどでした。 天正19年、秀吉の長男鶴松が亡くなったため、甥にあたる秀次を養子に迎えて関白とし、聚楽第に住まわせましたが、茶々が秀頼を生むと一転して秀次は秀吉の寵愛を失い、高野山へと追われ不幸にも自害させられました。 その後、聚楽第は解体されましたが、現在でも大徳寺唐門、西本願寺飛雲閣・浴室がその遺構として残されています。



●安土桃山文化の香り漂う、聚楽第手古七宝金鍍金引手をご紹介いたします。画像はスペースの関係で横向きに撮影されていますが、正しくは縦長の商品になります。こういったタイプの引手をふすまや袋戸棚に使用した例が、かつての聚楽第、および本願寺に見られることや、引手の格式や出来栄え、金鍍金などから、聚楽第か、それに近い荘厳な建築物に使用されていたものと思われます。
七宝焼というと、皆様はどういったイメージをお持ちでしょうか。アクセサリーや花瓶、食器やお土産品として、または単なるガラス製品として受けとめておいでの方も多いのではないでしょうか。
現在、日本の七宝焼のふるさとはここ愛知県ですが、皆様はご存知でしょうか。今から170年ほど前、江戸時代後期天保年間の創始から七宝焼の専門店として有名な、東京銀座和光の斜向かいにある安藤七宝店の本店も、やはりここ、愛知県にあります。
ここにご紹介いたしました古七宝は、その安藤七宝店さんの創始よりも、さらに遡ること250年、安土桃山時代に作られたものです。豊臣秀吉もまた、偶然ここ愛知県名古屋市がふるさとですが、日本での七宝焼の創始は平安時代頃であるとされることから、初めて七宝焼が作られたのが、どの辺りの土地であるのかは判っていません。
七宝焼はふつう、銅や金、銀などを下地にして面にくぼみをつくり、そこに透明または不透明のガラス質の釉を埋め込み、焼きつけてから研ぎ出す作業を経て文様を表しますが、この引手の下地は銅になっています。
七宝の名は、仏典にある七種の金属や宝石を七宝と呼んだところからの転用と考えられています。技法には、模様の輪郭に真鍮、銀などの細い針金をのりづけして用い、できあがった後まで針金を残した有線七宝、焼きつけた後で取り除いた無線七宝、下地を用いない特殊な技法の透け七宝、釉の研ぎ出しを行わず盛り上がった状態のままで文様を表す盛り上げ七宝などがあります。
この引手には、唐風のイメージで構成された草花文様が配されており、それらの隙間を埋め尽くしているのは、刀剣の鍔の部分に多く用いられる魚々子(ななこ)文様です。その上から、金鍍金が丁寧に施されています。
各部位の寸法は以下のとおりです。
縦径:5.0cm
横径:4.0cm
厚さ:1.0cm
状態:美品
時代:安土・桃山時代

聚楽第手
古七宝金鍍金引手

御菩薩焼
若松に紅葉絵雲鶴文酒盃
Sake cup;Mizoro ware.

御菩薩焼
色絵若松に紅葉絵金彩雲鶴文酒盃

御菩薩焼 若松に紅葉絵雲鶴文酒盃

御菩薩焼−みぞろやき− 御菩薩焼は山城国、現在の京都市の陶器で、一説には御泥池焼ともいわれています。野々村仁清の開いた御菩薩窯とは別で、年暦は不詳です。 ただその質は古清水と称されるものに似て、薄手のものは粟田焼、岩倉焼などに似ており、釉は薄卵色の方は柔らかく、地鼠色立の方は堅いようです。




●ここにご紹介いたします御菩薩焼は、わが国における近代のやきもの史上大変に貴重なやきものです。
御菩薩焼の正確な焼成年暦はいまだに解明されていませんが、現在に残された当時の文献から、おおよそ野々村仁清の死没とほぼ同時期、寛文年間頃には焼成されていたものと推測できます。
御菩薩焼と御泥池焼は同じ物ですが、御泥池焼の創始は仁清門人の源助という人物であるということが分かっています。
御菩薩焼は雅陶であり、器の形状も皿と向付の他はないといわれています。
この酒盃もやはり、もともとは向付としてまとまった数が焼成されたものですが、これまでに伝世する過程で破損するなどし、この1客が外れ、酒盃として大切に保管されてきました。
表面には呉須、黒、赤、緑、金彩のそれぞれの釉薬で若松と紅葉を対面に描き分け、内側の一角には黒釉でナズナ文様が描かれています。 こうした色絵を描いた作品を焼成する場合、素焼の段階から呉須、赤絵と、そして金彩を塗り込めて焼成する最終段階までに、幾度も窯の中で焼き上げる必要がありますので、 現在もそうですが、当時としてはなおさら贅沢な製品であったということが出来ます。
口紅には金彩が敷かれ、見込み部分にも金彩赤絵による、見事としかいいようのない筆致の飛雲鶴丸文が配されています。
こうした文様や金彩の残り具合がほぼ完全であることから見て、本当に大切に取り扱われてきた様子が手にとるように分かります。 特に見込み飛雲鶴部分に使用された金彩には、赤い金錆びによるハレーションあるいはラスターが浮き上がっており、 数十年もの間、実際に使用されることなく保管されていたことが推測できます。
釉調は、同じくこの特選品サロンでご紹介しております『野々村仁清作 御室釉白瓷香爐』と酷似しており、御菩薩焼が仁清の雅味を継承していることがよく分かります。
つくりの薄さも神業で、口径部分の厚みをそのまま高台脇まで轆轤で引いているといった様子です。また、口径部分は真円ではなく、3弁の花弁からなる花のように、緩やかな曲線を作り出しています。
落款は底部高台内にあり、小判印で『御菩薩』と記されています。
概略と各部位のおおよその寸法をご紹介いたします。
時代:江戸中期
箱:木箱付
状態:完品
高さ:4.6cm
口径:7.0cm
底径:3.8cm
となっています。

御菩薩焼
若松に紅葉絵雲鶴文酒盃