古橋尚の味なお話

古橋尚の味なお話-器いろいろ-



●陶芸家古橋尚先生が皆さまにお届けする器と食にまつわる『味なお話』の数々。
朝日新聞紙上で先生が連載されたコラムを「蓬【HOKO】壺を御覧のお客さまにも是非」との先生の御好意によりお届けしています。さて、今回のお話は?




  • 序 古橋尚プロフィール





    外山窯
    外山陶芸教室
    主宰 古橋 尚(ふるはし たかし)

    〒457-0008
    名古屋市南区外山2丁目1の5


                                     
                                が 窯  
    一 一 一           一 一     一 一 生 を 土
                                ま 開 と
    愛 外 朝           個 東 ・・・ 鼎 加 れ け 石
    知 山 日           展 海 名岐東 窯 藤 る る と
    教 窯 カ             伝 古 京 会 春 こ と 灰
    育 ・ ル 生秋跳須瓔月深深世世陶 統 屋 銀 作 鼎 と き  
    大 外 チ 々彩月勾珞光海海阿阿の 工  阜座 陶 先 を の そ
    学 山 ャ 流逍譚流・抄譚譚弥弥観 芸     展 生 期 期 し
    美 陶 | 転遥 文瀬 U にに音 展 丸高松   師 待 待 て
    術 芸 セ    の戸   捧捧展 入 栄島坂   事 し と 炎
    科 教 ン    器三   ぐぐ  選 ス屋屋     て 現 か
    彫 室 タ     彩   U     カ         実 ら
    刻   | 二一一一一一一一一一一   イ 朝     製   生
    教 主 講 〇九九九九九九九九九九   ル 日     作 い ま
    室 宰 師 〇九九九九九九九九九八     新     の つ れ
          〇九八七七六五四一〇七     聞     毎 か る
    卒     年年年年年年年年年年年     社     日 新 も
    業                     後     で し の
                          援     す い  
                                  ∧  
                                  美  
                                  ∨  


  • 第1話 水 




    ●器と食べ物の話を、気ままに書いてほしいと編集部からの依頼である。だからあまり難しい話はやめにして、旨くて、楽しい話を綴ってみたいので、しばらくお付き合いを願いたい。
     私は、陶器を作ることを仕事にしているので、器というと陶磁器、あるいは塗り物を思い浮かべてしまうが、食べ物を盛る器は、そればかりではない。最も原始的な器は人間の手であろう。冷たい清水から、水を飲む時、人は自然に両手で水をすくって口に運ぶ。これほど旨い水の飲み方はない。どんなに高価な器も両手にはかなわない。
     かつて御岳登山を試みた時、登山道の途中に「銀鈴水」と表示してある湧き水を両手で飲んだことがある。ごくごくと、喉を鳴らして飲んだその水の旨かったこと。まさに甘露とはこのことだと心から実感した。あれほど旨い水は、後にも先にも経験がない。
     登山を終えて、今度は「金鈴水」と表示してある湧き水を見つけたのだが、急いでいたので飲まずに通り過ぎてしまった。30年以上も前のことながら、悔いの残る思い出である。


  • 第2話 引き出し黒茶碗




    ●私の師匠は、瀬戸・赤津在住の伝統工芸作家、加藤春鼎(二代)先生である。
     先生は、志野、織部、黄瀬戸などこの地方伝統の焼き物を得意とされていたが、特に引き出し黒という技法においては、他の追随を許さなかった。この技法は、抹茶碗などに釉薬をかけた後、1250度で焼成し、その真っ赤に焼けている器を鉄のはさみで掴み出し、水の中に入れて急冷するという豪快な技である。これは、水に入れるタイミングが難しく、失敗も多いのである。
     さて、出来あがった引き出し黒茶碗は、漆黒の釉薬が、滑らかに、あるいは縮れて、他にはない味わいである。春鼎先生はよく「引き出し黒は、毎朝味噌汁を入れて飲むと肌が微妙に変化して、よくなるんじゃ。」と言われた。
     味噌汁といえば、当時、修行中の私たち弟子に、先生の奥様が作って下さった実だくさんの味噌汁の味も、今では忘れられないものとなった。


  • 第3話 黄金黄瀬戸




    ●桃山の焼き物のひとつである黄瀬戸は、黄金のコピーだという説がある。それは派手好きな豊臣秀吉の好みを反映している焼き物だというのである。
     利休の侘び茶に反撥して黄金の茶室まで造った秀吉は、陶器も黒い焼き物は貧乏臭いといって嫌った。確かにその時代の黄瀬戸は、美しい黄色が黄金を思わせなくもない。
     しかし、私は、黄瀬戸の器の中にアクセントとして打ってある緑色のタンパン(銅の顔料)に着目したい。枯れ野に芽生えたひとむらの草、黄褐色の中に緑を残す蔦の葉などを彷彿とさせる黄瀬戸の器。黄金というより、そんな自然の色彩を写したものが、黄瀬戸ではないだろうか。
     さて、黄瀬戸の器はオールシーズン対応である。春にはわらびのおひたし、秋には太刀魚のお造りと、いろいろな料理に合わせることができる。そういう点では、黄瀬戸には黄金の器にも優るすばらしさがある。


  • 第4話 名古屋城御深井焼




    ●御深井焼は、器にかかる薄い青緑色の釉薬が美しい焼き物で、名古屋に縁の深い焼き物でもある。
     この御深井という文字を「おふけ」と読める人はまずいない。この名前の由来は名古屋場内にあった御深井丸という屋敷の庭で焼かれたことによる。そして、当時の尾張藩主、徳川義直が呼び寄せた明人陳元贇の指導のもと、瀬戸の陶工たちに焼かせたものである。
     現在、戦災で焼失した名古屋城本丸御殿を再建しようという動きがあるやに聞く。もちろん莫大な費用のかかることなので簡単に実現できるとは思えないが、名古屋市民としては関心の持たれる話題ではある。
     御殿が完成のあかつきには市民に開放して有意義な活用がなされると思うが、私にはひとつの提案がある。それは、御殿の一角に御深井焼の資料コーナーを設けること。そして、他に食事のできる場所を作り、御深井焼の器に当時城主が食べていた料理を再現して供してほしい。御殿の中で殿様料理を味わう。いかがなものだろう。


  • 第5話 備前焼の大皿




    ●世に「土もの」と呼ばれる釉薬を掛けない焼き物はいくつかあるが、その中でも有名なものは備前焼であろう。一ヶ月あまりも窯の中で炎にもまれた結果、器は人の想像を越えた表情を生む。窯の中で、降りかかった灰が土と一体化して表面が解けてチリメンのようになったり、色彩も赤から黒、緑、あるいは金色と変化は尽きない。
     こういった土ものの器は、料理に使う前に必ず水にくぐらせることである。器は乾いた状態とは違って、しっとりと色もよく落ち着き、料理のうつりもよい。
     備前焼の大皿には、同じ料理でも繊細な盛りつけでなく、器の豪快さを生かした盛りつけがよい。お造りであれば、薄作りの白身魚ではなく、かつおのたたきなど一尾分をたっぷりのツマとともに乗せてみたい。
     また備前焼のような土ものの器には、笹やその他の季節の植物の葉を添えると一段と料理が映える。この理由は、土そのものの表情がある焼き物には、自然の植物が当然似合うということなのである。


  • 第6話 志野




    ●志野という焼き物は、粘土で作った器に、長石という石を臼でつき細かくしたものを掛けて焼いたものである。これほど純粋に日本的な造形はなく、また「しの」というやさしい響きの名称も魅力的である。そのために、志野ほど人々を魅了し、また多くの陶芸家にチャレンジ精神を与えたものはない。なかでも加藤唐九郎、荒川豊蔵は志野の両雄ともいうべき先達である。そして、現在でも多くの陶芸家が現代の志野を目指して制作を続けている。
     この焼き物のポイントは、火色というほんのりとしたピンクや赤色を、白い長石釉の下からいかにうまく引き出すかということである。この火色は焼き過ぎると消えてしまい、中途半端では生焼けで終わってしまうので他の焼き物に比べて窯焚きが難しい。
     志野といえば茶碗のイメージが強いのであるが、桃山の志野の向付などは実に瀟洒なもので、400年前の人々の洗練された食文化を彷彿とさせる。現在私たちが親しんでる和食の原点が、ここにあるといってもよい。


  • 第7話 ガラス




    ●玻璃(はり)あるいはギヤマンなど、ガラスの古い呼び名には何かロマンを感じてしまう。それは、ガラスが、大陸から伝わったことに由来しているのかもしれない。
     渡来した美しいガラスの器を見た当時の人々の驚きは、想像に難くない。水晶のように透明で、宝石のように鮮明な赤や青などの色彩。詫び寂びを尊んだ日本人も、ガラスの直接視覚に訴えてくる美しさには、素直に感服したに違いない。
     そして、その輝く美しさを自ら作り上げようとした結果が、薩摩切子であり江戸切子であった。切子とはカットガラスのことである。
     この貴重な器で酒を飲み料理を楽しむことは、江戸時代の人々にとって贅沢の極みであったろう。献上品として使われたこともうなずける。
     現在では、夏の和食にはガラスの器は欠かせないものとなった。かつて、冷やした切子のグラスに、じゅんさいを入れて供されたことがあったが、その爽やかさは格別であった。


  • 第9話 憎まれっ子魯山人




    ●黒田領治というすばらしい美文家の陶磁研究家であり、かつ有名な陶器商がいた。かつて彼が編纂した北大路魯山人の作品集の解説を読んでいて、大変驚いたことがある。7年間ほど黒田氏は魯山人と関わったことがあるのだが、その本の中で魯山人のことを、「とんでもない狂暴性、情け容赦しない傲岸さを感じ、悪魔とさえ思った一時期を思い出す云々」という記述に出会ったからだ。
     魯山人の人となりや生涯は何度も本に書かれ、今ではテレビドラマ化されたりして、その激しい生きざまが知られるようになった。親の愛情を受けなかった幼少時代など育った環境に同情の余地もあるが、それにしても大変な傲岸さと排他的な姿勢は自らの孤立を招いたといわれている。
     にもかかわらず、現在、魯山人の評価が高いのは、もともと料理人であった彼の、料理を生かす器の思想や伝統を踏まえた数々の創作、つまりはアートディレクターとしての才能が見直されているからだ。


  • 第10話 織部いろいろ




    ●織部という言葉には、いろいろな意味がある。まず戦国武将であり利休の弟子でもあった茶人の古田織部という人物の名前。織部という焼き物はこの古田織部の創作であるといわれ、その焼き物の呼び名の由来でもある。
     焼き物の織部自体にも多くの種類がある。青織部、黒織部、織部黒、鳴海織部。そして鉄絵で描かれたさまざまなデザイン、これが何百年も前のものかと思うほど斬新でモダンだ。器の形も、実に自由な発想で魅力がある。これ以降の食器の手本となり、現代に生きているのもうなずける。
     私たち焼き物の作り手が織部と聞いて、思い浮かぶのは織部釉のことである。
     深い緑色をしたこの釉薬は、酸化銅による呈色である。しかし、緑色は食べ物に合わせにくいという人がいる。そんな人には、「総織部の銘々皿に、白い薯蕷饅頭をのせてごらんなさい。これほど上品な取り合わせはないですよ。」と答えることにしている。師匠の受け売りではあるが。


  • 第11話 見果てぬ夢曜変天目茶碗




    ●世界に、たった三点しかないという稀有の宝物。青、紫、緑、銀などの色彩が光線によって変幻自在に移ろい、比類のない美しさで見る者を魅了してしまう。それが曜変天目茶碗である。
     中国より鎌倉時代に渡来した、この玉虫色に輝く天目茶碗を見た人々の驚きは想像に難くない。そして天下の大名物となり、現在では三点とも国宝である。
     そのために、この曜変を再現しようとする努力が古来からなされてきた。しかし、その再現は至難の業であった。例えば、瀬戸では曜変天目の研究に手を出すと家をつぶすとまで言われていたのである。
     しかし、それでも陶芸家の曜変に対する情熱は衰えることはなく、現在では目を見張るような成果を上げている作家も現れるようになった。常滑在住の久田重義氏や瀬戸の故長江惣吉氏の曜変天目茶碗は、実に見事な出来栄えである。
     その曜変天目茶碗でお茶を飲んだら百年は長生きしそうな気がするのだが、残念ながら私の望みはまだ叶えられていない。


  • 第12話 空への想い青磁の鉢




    ●中国の南宋の時代に、皇帝のために焼き上げたこの美しい焼き物は、初めは玉の再現として作られたという。玉とは翡翠に似た鉱物で、昆崙山脈の麓より産出し、黄金の値にもまさる宝物として尊ばれていた。そして、その玉器を人工で作り上げようとして、かえって玉にはない新しい美が出現したのである。
     この空や深い水の色合いを持った焼き物を、日本の人々もこの上なく高貴な物として珍重した。足利義政は所有していた青磁の碗にひびが入ったので、当時の中国に送り同じ物がないかと捜させたところ、このような優品はないし、もうできないと言われたという。そして、器のひびはカスガイでとめて返されてきた。青磁はそれほど貴重な存在であった。
     現在では美しい青磁を作る作家も多く、日常に楽しめる焼き物となっている。
     大きな青磁の鉢に、香り高い桃を盛って、当時の中国に思いを馳せるのも一興であろう。


  • 第13話 皇帝の器ヒスイの碗




    ●中国の清の時代に、それまでホータンの玉として知られていた白い玉(ぎょく)に代わって、ビルマ(現ミャンマー)産の緑のヒスイがいろいろな装飾に用いられるようになった。ヒスイといえば、今も昔も高価で貴重な宝石であるが、何とこれで、皇帝は花瓶や香炉、食器などを作らせたのである。
     台北の故宮博物院には、多くのヒスイの製品が蔵されている。かつて、私も見学に訪れたのだが、そのあまりの素晴らしさに時間を忘れて見入ってしまった。
     その中のひとつにヒスイの蓋付の碗があった。高さ10センチほど、緑の色は自然の濃淡が現れて明るく透き通り、まさに至宝と呼ぶにふさわしい逸品である。碗であるために、中身の部分を削り取るという、高価なヒスイを無駄にする工法で、現在では再現することは不可能であろう。
     それにしても、この類稀な貴重な器で、皇帝は何を食されたのか知りたいものである。


  • 第14話 山から生まれた山茶碗




    ●常滑から名古屋の南部、瀬戸や豊田などの山間部を歩いていると、山茶碗の破片を拾うことがある。私も粘土などを探して歩き回っているうちに、いくつかの山茶碗を拾った。ひとつだけ破片が地表に出ている場合もあれば、山茶碗の巣ともいえるほどざくざくと見つかることもある。これは窯跡か物原であろう。
     山茶碗は、無釉で重ねて焼かれることが多く、たぶん雑器として都に供給されたのだろう。その胎土も精製しない砂混じりのもので、ろくろや仕上げもおおらかである。
     山茶碗は、別名藤四郎焼ともいう。これは瀬戸の陶祖である加藤藤四郎が、海岸から試し焼をしながら北上し、ついに瀬戸に辿り着いたという言い伝えに因っている。その捨てられた試し焼が、山茶碗であるというのだ。
     そんな伝説めいた話もおもしろいが、私は山茶碗の素朴な味わいが好きで、少し水を入れて季節の花を一輪浮かべて楽しんでいる。


  • 第15話 古九谷有田焼?(前編)




    ●焼き物の歴史上、それまで常識と思われていたことが、ある時から覆ってしまうことがある。
     有名な話としては、荒川豊蔵氏による美濃での志野の陶片の発見がある。この発見によって、初期の志野は瀬戸で焼かれていたというそれまでの常識がひっくりかえされてしまったのだ。
     これは昭和の初めの頃の出来事であったが、実は平成の時代になっても、同様のことが起こったのである。それは、古九谷にまつわることである。
     九谷焼は、現在でも北陸金沢あたりでは、名産品として疑う人はいない。そのルーツは江戸時代初期にさかのぼる古九谷であるとされていた。ところが、石川県下では、古九谷の窯跡が発見されず、早くからこれを疑う学者はいたのである。
     ようやく最近になり、古九谷は、九州有田で焼かれたものであることが、ほぼ定説となってきた。しかし一般的には、まだこれが常識として浸透していないのが現状である。(つづく)


  • 第16話 古九谷有田焼?(後編)




    ●古九谷は、日本の焼き物の中でも、志野や織部とともに非常に個性の強い焼き物である。
     大皿に描かれた松や波、花鳥などの力強い描線は、他に類例がない。また、黄、緑、紫などの上絵の具の取り合わせの強烈さ。
     この古九谷が、研究の結果、それまで考えられていた北陸でなく、伊万里焼で有名な九州の有田で焼かれたものであることがわかってきた。
     しかし、研究の結果がそうであったとしても、古九谷が、伊万里や柿右衛門と同じ場所で焼かれたとは、にわかには信じがたい。障壁画の影響を受けているという説もある。
     私には、古九谷は、一人の才能ある人物が関与しているように思われてならない。それほど強い個性を感じるのだ。
     さて、古九谷の大皿に乗せて一番似合う料理は、何と言ってもズワイガニだと思う。結局、古九谷は意識の中では北陸のイメージのままなのである。


  • 第17話 楽焼と楽




    ●楽焼というと、観光地などで『1時間で湯飲みや皿に絵付けができます』という看板を見ることがある。これは、素焼きの器に絵の具で絵や字を書いてもらい、透明の低温釉をかけて電気窯などで短時間で焼き上げるものである。
     このようなこともあってか、楽焼の楽は、この焼き物が簡便で、苦労せずラクにできるからだと理解されている向きもある。しかし、それは千利休の指導で茶碗を製作した長次郎が、秀吉から楽という金印を賜ったという故事による名称だといわれている。
     この楽の茶碗は、ロクロを使わず手びねりで仕上げて、窯もフイゴを使う特殊なものである。焼成温度も通常の焼き物よりも低いため、手に持って軽く、また感触も見た目も柔らかさがある。ただし、壊れやすいので、慎重に取り扱わなければならない。
    そんな弱点でさえ、味わいのひとつとして取り込んでしまう日本人の感覚はすばらしい。


  • 第18話 御本と御本手




    ●御本とは見本あるいは手本のことで、桃山時代から江戸時代にかけて、わが国から朝鮮に対して注文して作らせた焼き物のことである。主に茶碗であったが、鉢や皿、香炉なども作らせたという。
    つまり、デザインは日本でして、製造は外国製というわけである。これは、現在わが国の多くの海外工場の形態と同じであり、なかなか興味深い。
     さて、このように注文されて出来た焼き物は、御本手(ごほんで)と呼ばれ珍重された。その多くは、白い土で作られ、鉄やゴスなどにより簡略で趣の深い絵付けがなされている。
     この御本手の土は白い土といっても焼成後は黄色、ネズミ色など複雑な色調をおびて、特に赤みがかったぽつぽつが現れることがある。その赤みが、茶の緑色を引き立てるとして 喜ばれ、このぽつぽつ模様のことも御本と読んでいる。
     この模様としての御本は見るものに温かさや安らぎを与え、現在では意図的に再現されることも多い。